広島地方裁判所福山支部 昭和62年(ワ)156号 判決 1991年11月25日
原告
東邦綿業株式会社
右代表者代表取締役
中野郁男
右訴訟代理人弁護士
水野武夫
同
飯村佳夫
同
田原睦夫
同
栗原良扶
同
尾崎雅俊
同
増市徹
同
木村圭二郎
被告
猪原正二
右訴訟代理人弁護士
森谷正秀
主文
一 被告は原告に対し、金六二五万八八八四円及び内金四〇〇万円に対する昭和六三年七月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、金六二五万八八八四円及び内金四〇〇万円に対する昭和六三年七月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一争いのない事実(被告において明らかに争わないから自白したものとみなす事実も含む)
1 原告は、訴外猪原センイ株式会社(以下「猪原センイ」という。)が引受をした別紙手形目録記載の為替手形二通(額面合計一〇〇〇万円。以下「本件各手形」という。)を所持しており、本件各手形を各支払期日に支払場所に呈示したが、いずれも支払を拒絶された。
2 猪原センイは、昭和五九年五月に資金不足による手形の不渡を出して倒産し、同年一一月には解散するに至った。
3 被告は、猪原センイが設立されて以来、右解散に至まで、引き続き同社の代表取締役であった。
4 原告は、訴外正企被服株式会社との間で、訴訟上の和解をし、本件各手形金について、昭和六二年一二月二五日に三〇〇万円、昭和六三年六月三〇日に同じく三〇〇万円、合計六〇〇万円の返済を受けた。
二争点
本件の争点は、融通手形の交換を続けた猪原センイの代表取締役である被告に商法二六六条の三第一項の責任が認められるか否かの点にあり、当事者双方は、この点について次のような主張をしている。
1 原告の主張
(一) 原告は、右六〇〇万円を本件手形金債権の元本に充当し、その結果、昭和六三年六月三〇日現在の残元金は四〇〇万円、遅延損害金は二二五万八八八四円となるところ(その計算式は別紙計算書のとおり)、訴外会社が右のとおり解散したため、原告は、訴外会社から右残元金及び遅延損害金の合計六二五万八八八四円を回収することが不可能となり、結局、これと同額の損害を被った。
(二) 被告は、猪原センイの代表取締役として、猪原センイの融通手形の交換先であった訴外中川産業株式会社(以下「中川産業」という。)の経営状態が日々悪化の傾向を強めており、満期に同社振出の融通手形の決済がなされる見込みがなく、ひいては猪原センイが連鎖倒産に至り、本件各手形についてもその支払ができなくなることを十分認識し、または認識し得たにもかかわらず、漫然中川産業と融通手形の交換を続けて、本件各手形の引受をし、その結果、昭和五九年五月一五日に同社が手形の不渡を出し倒産したのに伴って、猪原センイを連鎖倒産させ、前記解散に至らしめて、原告に前記損害を被らせたから、代表取締役の職務を行うにつき悪意または重大な過失があったと言うべきであり、商法二六六条の三第一項の規定により原告の被った損害を賠償する責任がある。
(三) よって、原告は被告に対し、右損害金合計六二五万八八八四円及び内金四〇〇万円に対する最後の返済のあった日の翌日である昭和六三年七月一日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 被告の主張
(一) 原告は、中川産業からかなりの債権を回収しており、損害はない。
(二) 被告には、中川産業と融通手形を交換することについて、悪意も重大な過失もない。すなわち、
(1) 猪原センイは、被告とその家族の経営する同族会社であって、猪原センイが倒産することは、被告自身及び家族らも倒産するのと同義であるから、被告が放漫経営を行うことはあり得ない。
(2) 被告は、中川産業からでき得る限りの担保・保証を取り、支援した債権の回収方法も弁護士と相談しながら行い、金融機関や猪原センイの後楯であった大手商社とも協議しながら、必死になって中川産業を支援したのであって、中川産業が倒産したのは、結果論に過ぎない。
(3) 経営者が企業遂行について決定すべき方針に、常に多少の冒険を伴うのは必然のことである。取締役は、会社事業の運営について広い裁量権を有しており、不可避的に相当程度の不確定要素を含む判断を迫られるから、取締役のした判断が結果的に適切でなかったとしても、与えられた裁量権の範囲内であれば、その出処進退の点は別として、取締役の責任を懈怠したことにはならない。
第三争点に対する判断
一<書証番号略>に前記争いのない事実を併せ考えると、原告は本件各手形をいずれも第一裏書人である中川産業から取得し、所持しているが、中川産業は昭和五九年五月一五日に手形の不渡を出して倒産し、本件各手形の引受人である猪原センイも同月末に倒産し、同年一一月には解散するに至ったため、原告は両社から本件各手形金合計一〇〇〇万円の支払を受けられなくなったこと、その後、原告は、猪原センイの債務を重畳的に引受けた訴外正企被服株式会社から、前記のとおり合計六〇〇万円の返済を受けたことが認められ、その充当関係については、原告の自認するとろであるから、以上によれば、結局、原告は、昭和六三年六月三〇日現在、その主張のとおり、手形金残元金と遅延損害金の合計六二五万八八八四円の損害を被ったものと推認することができる。<書証番号略>及び被告本人尋問の結果中には、原告が中川産業倒産時に同社からスパンボンド裏地等の商品を持ち帰ったから、原告に損害はない旨の各記載及び供述部分があるが、これら各部分はいずれも伝聞に基づくものに過ぎず、また、<書証番号略>に照らしても採用することはできない。
二そこで、商法二六六条の三第一項の責任について検討する。
<書証番号略>及び被告本人尋問の結果によると、猪原センイは、被告により昭和五二年に繊維製品の製造販売等を目的として資本金一〇〇〇万円で設立された株式会社であって、設立以来順調に業績を伸ばし、昭和五九年二月期には年商約二四億円、利益四二〇〇万円をあげていたこと、中川産業は、猪原センイにとって昭和四九年頃からの一〇年来の取引先で、その取引内容は原反の加工取引であったが、帳簿上は「売り買い」の形をとっており、実際の取引高は約二〇〇〇万円から三〇〇〇万円、シーズン時は約四〇〇〇万円であったこと、猪原センイは、昭和五九年一月から、中川産業の要請で、月に一回か二回、同社に対し融通手形の引受をするようになったところ、同社は、最初はつなぎ融資のためと言っていたのが、同年四月中頃からは「手形が落ちないから融通してくれ」と言うようになり、同年五月末には、猪原センイの引受をした融通手形の総額は一億円余にものぼっていたこと、本件各手形も中川産業から「潰れそうなので手形を貸してくれ」と言われて引受をした融通手形であること、被告は、昭和五六年頃に中川産業のバランスシートを調べたことがあるが、それ以後はないこと、被告は、猪原センイのために、昭和五九年四月頃中川産業所有の機械・器具等に根譲渡担保の設定を受け、また、同社名義の定期預金証書三通(額面合計二一五〇万円)を担保として預かったが、それ以外には、同社が倒産した後に、同社所有の土地や同社代表者所有の土地建物等に猪原センイのため根抵当権の設定を受けたことがあるに過ぎず、しかも、これら不動産には全て先順位の根抵当権が設定されていたこと、猪原センイは、中川産業が右のとおり倒産したため、多額の売掛金が回収不能となるとともに、不良債務が発生し、加えて主取引銀行であった中国銀行の支援打切りもあって、経営困難に陥り、昭和五九年五月末に手形の不渡を出し倒産するに至ったこと(猪原センイが同月に手形の不渡を出し倒産したことは、当事者間に争いがない)が認められる。
右認定の猪原センイの企業規模、営業の状態、中川産業との取引内容、中川産業から徴した担保の内容、融通手形の交換経緯及びその額面総額等から判断すると、猪原センイが本件手形を含む多額の融通手形につき満期に自己資金で支払をすることのできないことは明らかであり、また、中川産業が猪原センイに対し満期までに本件手形を含む融通手形の弁済資金を提供することについて、当時確たる裏付けがあったと認めるべき証拠はない。この点につき、被告はその本人尋問の結果中において、中川産業の主取引銀行であった訴外岐阜信用金庫の支店長が「中川産業は十分やっていける」と言い、また、伊藤萬株式会社の岡山支店長も「中川産業を支援する」と言うので、それを信じた旨供述しているが、単にそれだけでは到底右当時確たる裏付けがあったと言うことはできない。
したがって、以上のような状況下においては、猪原センイの代表取締役である被告としては、たやすく融通手形の引受などすべきでないことは明白であるから、被告が本件各手形の引受をしたことは、右代表取締役としての職務の執行につき重大な過失があったというべきであり、被告は商法二六六条の三の第一項に基づき原告の被った前記損害金合計六二五万八八八四円を賠償する責任がある。
なお、原告は、右損害につき商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めているが、右損害賠償債務は商行為によって生じた債務ではないから、これに対する遅延損害金は民事法定利率年五分の割合によるべきものである。
三結論
よって、原告の本訴請求は、前記損害金六二五万八八八四円及び内金四〇〇万円に対する昭和六三年七月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官生熊正子)
別紙手形目録<省略>